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札幌高等裁判所 昭和25年(う)90号 判決 1950年6月24日

控訴人 検察官 鵜沼武輝

被告人 渡辺正雄

検察官 伊東勝関与

主文

被告人に関する原判決を破棄する。

本件を札幌地方裁判所岩見沢支部へ差し戻す。

理由

札幌地方検察庁岩見沢支部検事鵜沼武輝の控訴趣意は別紙記載のとおりである。

よつて先づ控訴趣意第一点について調査するに、暴力行為等処罰に関する法律第一条第一項には、「団体若は多衆の威力を示し、団体若は多衆を仮装して威力を示し又は兇器を示し若は数人共同して刑法第二百八条第一項……の罪を犯したる者は云々。」と規定してある。これを文理の上から解釈分類すれば第一の形態は「団体若は多衆の威力を示し」て暴行をした場合であり、第二の形態は「団体若は多衆を仮装して威力を示し」て暴行をした場合であり、第三の形態は「兇器を示し若は数人共同し」て暴行をした場合である。従つて第一及び第二の形態は団体若は多数者を背景とし又はこれ等のものを仮装的に背景とした犯罪であるが、第三の形態はそうではなくて暴行の態様が兇器を示すとか、数人共同で為すとかということによつて成立する犯罪である。従つて兇器を示して暴行をする場合又は数人共同で暴行をする場合には、団体又は多衆の背景というものは実際的にも又は仮装的にも存在することなくして本条の違反罪を構成するものと解すべきものである。又これを本法制定の趣旨に徴するも大正末期から種々の社会的原因より暴行、脅迫、器物毀棄、面会強要、強談、威迫等の行為をなす者が横行し社会の治安を乱す例多く、しかもこれ等の犯行の多くが前に述べたような色々の形態で行われる場合において甚しく社会的害悪を流すものと認めて、これ等の形態で行われる前記のような犯罪につき刑法の定めた刑より加重し、又は刑法上の親告罪を非親告罪と為し、以て社会の治安を図つたものであつて、特に団体犯罪又は仮装的な団体犯罪をのみ対象としたものとは認められない。又更に観点を変えて考察して見るに、若し控訴趣意所論のように、数人共同して暴行をした場合に、団体又は多衆というようなものが背景となつている場合には暴力行為等処罰に関する法律違反罪となり、然らざる場合には刑法上の単純暴行罪の共犯となる、とすると、それは果して暴力行為等処罪に関する法律違反罪としての構成要件として単純暴行共犯の構成要件の外に如何なるものを要求することになるのであろうか。法律には「数人共同して」という要件を規定しているのみであるが、その外に「団体の背景」とか「団体の構成分子として」というような要件は何等要求していないし、又そのような要件を具えた場合は前に述べた第一又は第二の形態に包含せられることとなるから殊更第三形態を設ける必要がないともいえるのである。或は控訴趣意の云はんとするところは、構成要件としては「数人共同して暴行」をしたのみで充分であるが、かくれたる要件としてそれが団体を背景した場合には暴力行為等処罰に関する法律違反罪となり、然らざる場合には刑法犯罪となるというのであろうか。しかしそうだとすればそれは結局同一の犯罪事実が認定されながら、判決に表現せられないかくれた事実のために、或る場合は暴力行為等処罰に関する法律を適用し、或る場合には刑法を適用するという不都合な結果、認めることになつて、かかる理論の採用できないことは明瞭である。所論は刑法の単独単純暴行と、暴力行為等処罰に関する法律第一条第一項該当の暴行との中間に、共謀暴行という形態が存在するというが、いわゆる共謀による暴行の共犯が成立することは認めて差支ないけれども、それが一度共同の暴行実行正犯となつた場合には、もはや刑法の領域から離れて特別法たる暴力行為等処罰に関する法律の適用を見ると解しなければならないのである。

而して暴力行為等処罰に関する法律は刑法の特別法であるから、本法に該当する場合には刑法の適用はないと解するのは当然のことである。

ところで原判決は証拠によつて、「被告人渡辺正雄は手拳で猪股光治の顔を殴ると、傍にいた原審相被告人上田進は正雄と意思相通じ逸早く逃出した光治の後を追つて捉えいきなり手拳で光治の顔を殴つて暴行を加えた」旨を認めているのであつて、この事実は正に「数人共同して暴行」したという暴行行為等処罰に関する法律第一条第一項に該当するものであつて、以上に述べた理由よりして、この事実に対しては刑法第二百八条第六十条を適用すべき限りではない。

しかるに最後に控訴趣意においては、本件の場合検察官は特別法である暴力行為等処罰に関する法律による処断を求めず刑法第二百八条の罰条による法定刑の範囲内で処断を求めているにすぎないのであり、それは被告人にとつて不利益でないから、刑法犯として処罰して差支ないと論ずるけれども、既に暴力行為等処罰に関する法律違反に該当する事実が起訴せられ且その事実が証拠によつて認定された以上、法律の規定するところに従つて当該法律を適用するのは裁判所の職責であり、検察官の意見乃至要求によつて他の法律を適用するわけにはいかないのであつて、要は、何れの法律を適用しても差支えないか否かの問題ではなくて、何れの法律を適用しなければならないかの問題である。

以上の通りであるから、この法律問題に関する原判決の態度は正当であつて、控訴趣意の議論には賛成できないのである。

次で第二点について調査するに、原裁判所は前記のように暴力行為等処罰に関する法律第一条第一項該当の事実を認定し、起訴状に罰条として刑法第二百八条を掲げてあるので審理中において検察官に対し右罰条を暴力行為等処罰に関する法律第一条第一項と変更すべきことを命じたが、検察官がこれに従わなかつたので、無罪の言渡をしたのである。しかも本件においては訴因については何等変更を要する事案ではなかつた。つまり起訴状の訴因自体において既に暴力行為等処罰に関する法律違反の事実を記載しながら、罰条は刑法第二百八条を掲げていたのであるから、本件起訴状には罰条の記載の誤があつたものといわなければならない。

而して原裁判所はこの場合には罰条の変更を要するとしたのであるが、罰条の記載の誤は被告人の防禦に実質的な不利益を生ずる慮がない限り、公訴提起の効力に影響を及ぼさない、とは刑事訴訟法第二百五十六条第四項但書に規定するところであつて、起訴状における罰条の記載は訴因の記載に比して従属的な意味を有するものと見られ、又法律の適用は裁判所の職責であつて、当事者の見解や要求に従う義務はないということからも右の解釈は裏付けられるのである。従つて又公訴提起の効力に影響を及ぼさない程度の罰条の記載の誤りは、殊更訂正変更されなくても裁判所が正当な法律を適用して有罪の判決をなすに防げとなるものではないと解する。

ところで本件の場合に果して刑法第二百八条として起訴状に記載せられてあるものを、暴力行為等処罰に関する法律第一条第一項を適用して処罰することが、被告人の防禦に実質的な不利益を生ずる慮があるか否かの問題であるが、被告人の防禦が訴因を中心として行われることは自明のことであつて、訴因の解釈を誤らせるような罰条の誤があれば、それは防禦に不利益を生ずるけれども、本件においては訴因自体疑うことなき暴行の実行共同正犯の事実が記載せられてあり、それに対して一般法である刑法第二百八条が挙示されているのであるから、訴因の解釈を誤らせる虞はないといわなければならない。従つて被告人の防禦の方法は事実問題については何等それによつて異るところはないわけである。なるほど暴力行為等処罰に関する法律第一条第一項の罪の法定刑は刑法第二百八条の罪の法定刑よりも重いけれども、単に重い法定刑を盛られた罰条が正当に記載されていたならば、被告人は更に愼重に防禦方法を講じたかも知れないというようなことは実質的な不利益とは解すべきではない。

以上のとおり、本件においては被告事件について犯罪の証明がない場合でもなく、又被告事件が罪とならない場合でもないから起訴状記載の罰条の変更を要せずして原判決認定の事実に対して暴力行為等処罰に関する法律を適用して有罪の判決をすべきものといわなければならない。従つてこれと異つた見解の下に無罪の言渡をしたのは刑事訴訟法第三百三十六条の解釈を誤つたものであつて、しかもその法律違反は判決に影響を及ぼすこと明らかであるから、この点について本件控訴の理由がある。よつて刑事訴訟法第三百七十九条第三百九十七条によつて被告人に関する原判決を破棄すべきであるから、控訴趣意第三点については既に判断の必要がなくなつた。よつて、これに対する判断を省略する。

而して本件においては原審において弁護人から情状に関する立証として証人の取調の請求があつたものを却下して無罪の言渡をしていることでもあり、未だ当裁判所で直ちに判決をすることができないものと認め、刑事訴訟法第四百条本文により主文のとおり判決する。

(裁判長判事 藤田和夫 判事 西田賢次郎 判事 河野力)

検事鵜沼武輝の控訴趣意

第一点裁判所は果して本件の場合起訴状に記載されている刑法第二百八条の暴行罪の罰条を適用して処断することが出来ないものであろうか。いま原判決をみると「被告人正雄は手拳で光治の顔を数回殴ると傍にいた被告人進は被告人正雄と意思相通じ逸早く逃出した光治の後を追つて捉えいきなり手拳で光治の顔を殴つて暴行を加えたことを認めることができる」と判示し更に「叙上のように数人が暴行の実行に相通謀するに止らず暴行の行為自体が数人のものによつて実行された場合は刑法第二百八条の暴行罪に該当せず暴力行為等処罰に関する法律第一条第一項の罪を構成するものであることは極めて明白である」といつているが判決所論のごとくであるとするならば暴行行為を処断すべき適用法条は刑法第二百八条の暴行罪(即ち単純暴行)かしからずんば暴力行為等処罰に関する法律のいづれかしかないという結論になる。然し乍ら暴力行為等処罰に関する法律の立法の趣旨を立法当時の社会情勢を背景にして考えてみると同法第一条第一項の「団体」といい「多衆威力」といいあるいは「団体若は多衆を仮装して」という文字より推断されるものは、ある一つの色彩をもつたものであり「数人共同して」という規定も右のそのような団体あるいは多衆の例示的な表現にすぎないものであることがうかがわれるのである。成程従来の判例は同法第一条第一項の数人共同とは二人以上であればよいということになつているが叙上のような団体の構成分子である場合ならば法の予想しているような相当多数の人数でなくてもよいということの意味であろうと思われるのである。若しそうであるとすれば刑法第二百八条の単純暴行と暴力行為等処罰に関する法律第一条第一項に該当する暴力行為との中間に共謀による暴行という概念が入つて来ることは少しも差支がないばかりか必要でさえあると考えるのである。刑法第六十条の規定が同法第二百八条に関する限り特にその適用を排除されると考うべき何等の理由はないのである。又本件の場合検察官は加重刑である暴力行為等処罰に関する法律の法定刑による処断を求めて居らず刑法第二百八条の罰条による法定刑の範囲内で被告人等の処断を求めているにすぎないものであり、かつそうすることは少しも被告人等に取つて不利益ではないのである。又原判決は前述のように単純暴行とも解される事実認定をしているのであるから起訴状に記載された刑法第二百八条の暴行罪の罰条を適用して処断して差支えがないものと考えるのである。原審が本件は暴力行為等処罰に関する罪を構成するとなし同法の罰条を適用して処断しなければならぬということに固執しているのは明らかに法律の適用を誤つた違反があり、この点において原判決は到底破毀を免かれないのである。

第二点叙上のように本件は起訴状記載の罰条を適用して何等差支えのない事案であると思うが若し判決所論のよう起訴状記載の罰条ではこれを処断することができず暴力行為等処罰に関する法律第一条第一項を適用すべきものであるとするならば本件は起訴状の罰条の記載に誤があつたというにすぎないこととなるのである。そこで原判決には「本件の如く起訴状に暴行罪の罰条が記載されているとき罰条の変更がないのに起訴状に記載されていない暴力行為等処罰に関する法律第一条第一項の罪の罰条を適用して処断するのは明らかに被告人の防禦に実質的な不利益を生ずるものであつて云々」と判示しているが、果して本件の場合裁判所が職権で暴力行為等処罰に関する法律第一条第一項を適用して処断出来ないものであろうか一考を要するものがあると思う。なるほど判示のように裁判所が実体判決をするには訴因と罰条とに拘束されるものであることは言を俟たないところであつて若し裁判所が起訴状に記載された訴因と罰条で有罪とすることができず、それ以外の訴因罰条を適当と考えるときは訴因罰条の変更追加を命じるべきで、その手続をとらないで起訴状に記載のない訴因罰条で有罪をみとめることはできないのであろう。しかし乍ら法律的実体形成はもともと裁判所の職権によるべき性質のものであるから右に述べたところの中で罰条の拘束は絶対的のものと考えることは出来ない。それが被告人の防禦に実質的な不利益を生じるおそれがない限り起訴状に記載された以外の罰条を適用することが許されるべきものであると解すべきであろうと思う。刑事訴訟法第二百五十六条第四項但書に「但し罰条の記載の誤は被告人の防禦に実質的な不利益を生ずる虞がない限り公訴提起の効力に影響を及ぼさない」と規定されているのはこの意味に解釈するのが適当であると思う。即ち被告人の防禦に実質的な不利益を生ずる虞がたければ単なる罰条の記載の誤(この場合罪名と罰条とは表裏一体となつているものであるから罪名も含む)は公訴提起の効力に影響を及ぼさず従つて裁判所はこのような起訴状に基いて実体的裁判を為し得る訳であり又起訴状に記載されている以外の罰条を適用することができるものと解するのである。それで本件の場合裁判所は起訴状記載の罰条を適用して処断できない理由として若し暴力行為等処罰に関する法律第一条第一項を適用すれば「被告人の防禦に実質的な不利益を生ずるものである」といつているが被告人の利益、不利益がいかなる基準によつて判断されたものであるか詳かにしないが恐らく刑法第二百八条の暴行罪と暴力行為等処罰に関する法律の法定刑の軽重にあることによるものであることは想像するに難くないのである。若しそうであるとすればそれは余りにも被告人の防禦上の利益を形式的に計量するものといわなければならない。むしろ被告人の防禦上の利益の基準となるべきものを求めるとすればそれは展開されつつある訴訟の過程の中に更に公訴事実の中にこれを求めなければならないと考うるものである。即ちこの場合「防禦」とは当該訴訟手続の中における「防禦」であり「実質的」というのは公訴事実と関連させて考えてはじめて「実質的」と謂い得ると思うのである。これは刑事訴訟法第三百十二条とくにその第四項の規定に徴し明らかであり且つ法定刑の軽重が基準であるとすれば起訴状に窃盗罪の規定が適用罰条として掲げられている場合に強盗罪の規定を適用することは出来ないが、詐欺罪あるいは横領罪の規定を適用することが許されるという結論になる。然しながら訴訟上の攻撃防禦は主として犯罪事実を中心に展開されるのであつて右の場合被告人は「自分は窃盗罪で起訴されていると考えたから窃盗罪を構成しないという点に弁明の主旨を置いたのだがもし詐欺罪に該当するとされるのを知つていたならばそれに対する弁明の方法は沢山あつたのである」という嗟声を発しめる結果となり不合理である。

本件の場合たとえ原判決所論のように暴力行為等処罰に関する法律第一条第一項を適用すべきとしても本件公訴事実そのものはいささかも変更を要しないのであるから裁判所は暴力行為等処罰に関する法律第一条第一項を適用してもそれが被告人の防禦に実質的な不利益を生ずるものであるということにはならないのである。故に原審はこの点において法律の適用を誤つた違法があり原判決は破毀を免かれないのである。

第三点<省略>

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